Grissiniの竃

  今日のご飯は何しよう?

今さらですが、お姑さん。

この頃、YouTubeに2チャンネルのまとめから作った動画が上がっていて、いつのまにかお薦めサムネイルに上がっているのを、夏の間(足が痛いので家事が出来ない)よく見ていたが、私たちの嫁・姑問題は、今なら即〝離婚案件〟だなぁと思ったものだ。

 

亭主は、私が熱を出してなかなか起きられないでいるのへ

「メシは?」

と聞く。

「熱あるみたい」

「何度?」

「計ってない」

「おふくろは熱があっても朝の支度やってたがなー」とほざき、冷蔵庫からジュースを出すと自分だけ飲んで

「じゃ、行ってくるわ、寝とけよ」

と会社へ行ってしまった。

隣には、生後6ヶ月の娘も寝ていたのだが、そっちを気遣うこともなく何とも素早くて、とりあえず私にも水を一杯くれというヒマもなかった。

そのまま寝てろと自分では優しくしたつもりなのだろうが、当時家には電話はなかった。

広い社宅のあちこちに電話ボックスが備えられており、受話器を上げれば会社の交換手さんが出てタダで電話を掛けられたのだが、起きようとすると背骨がきしんで痛む。

2月、インフルエンザが流行っていた。

娘が泣いたので、何とか起きて湯を沸かしミルクを作る。

一通り世話をしてまた倒れ込んだ。

「○○さん、いる?」

亭主が鍵を掛けていかなかったのが幸いして、お隣の奥様がドアを開けて声をかけてくれた。

実家の母に電話をかけてもらって、娘と私はようやく救出された。

娘も赤い顔をしてふぅふぅ言っていたので、母はそのまま同級生がやっている病院へ私たち二人を運び込んだ。

そのまま実家でゆっくりすることになり、2,3日して私の熱も引いたところで、母に当座に必要なものを社宅に取りに行ってもらった。

洗濯物が、洗濯機の中で脱水されたまま乾いており、寿司折りの空が一つ捨ててあったそうだが、どうも社宅で寝た形跡がない。

どうしたんだろう、たぶん自分もお母ちゃんのところへ帰ったのだろう。

母は、亭主の実家へ電話をかけ、娘と孫をしばらく預かると言ったついでに、嫌みの一つも言ってやろうと思ったら、「すみません」でもなく「お世話になります」でもなく明るい声で

「あ、僕の方は心配いらないですから」

と曰うたそうだ。

「金輪際、亭主なんか頼りにするんじゃありません」と母は言った。

 

姑からはこのことで説教をくらった。

いくら近いからと言って、すぐ実家を頼りにするのは如何なものか、と言うわけだ。

「私は、熱があっても時間には起きてやることはやりましたよ」

「でも、インフルエンザで・・」

「一度なんか40度くらい熱があったのだけど、寝ていられなかったわ。子供をおぶって家のことをやりましたよ。ちょうど長野にいた頃だわ、千曲川で雪のちらつく中、襁褓を洗いましたよ」

「・・・・・」

「貴女、〝死してのちやむ〟ってご存じ?」

「いえ」

「死んでから病気になって寝込みなさい、って意味よ」

「へぇ・・」

「それくらい頑張って主婦は仕事しなさいってこと、わかった?」

「はーい」

 

この博学な姑が101歳で亡くなって、そろそろ17回忌?

先日、ふと思い出して、検索してみた、いったいだれの言葉なのか、格言なのか?

 

えええっ!?

 

俛焉日有孳孳、斃而后已

「原文:礼記」 俛焉(べんえん)として日に孳孳(しし)たる有り、斃(たお)れて后(のち)に已(や)む。

 

⇒ 死して後已む.  死ぬまで努力し続けること。

 

お姑さん!お姑さん!違ってますがな。

「病む」ではなく「已む」ですがな。

 

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まぁ、私も勝手にやっていたし、今ではインフルエンザの疑いがあるなら、お休みするべき(ヒトサマにうつさないように)という時代だそうで、いいんですけどね。

 

あー、他人に言わないで良かった・・・。