トランプ米大統領とプーチンの会談は10分で終わったそうだ。
まーた、うまいこと時間稼ぎされたな、と思う。
お盆の最中、子どもたちと
アメリカ大統領は「関税をかけるだけの簡単なお仕事です」
とハローワークに張り出されるね、と笑い合っていて、アラスカでの会談もわずかな進展さえないだろうと言い合っていた。
それならどうしたらいいのか?となると、いきなり黙ってしまうしかないけど、でもそういう国がわが日本の隣国であるという事実、その認識を新たにする。
いくら決めても、ロシア(ソビエト)は守らない、いきなり戦車で攻めてくる、自国の領海内で操業している漁船を拿捕する、そういう出来事を報道で知っている世代だから、「核のない平和な世界を」と言うスローガンを垂れ流すだけのテレビには辟易している。
識者と言われる人にも、何か別の切り口は無いのか?と聞きたくなる。
日本のマスゴミは、アメリカメディアよりもっと大人しいから、叱られる前から忖度してしまう。
このお盆の最中くらい、終戦、撃ち方ヤメにもかかわらずソビエト軍は攻めこんできた、ソビエトによって何十万人もの日本人が、シベリアに抑留されて国際法違反であるのに重労働に従事させられた、北方領土は未だ返還されていないetc.の番組を(嫌がらせ承知)放映したらいいのに。
NHKってたくさんフィルム持っているんでしょう?
それにしても、キンペイちゃんが黙っているのはなんででしょ?
アメリカとのお商売の方が大事だから?
トランプ大統領に関税を上乗せされると困るものね。
うん、これはこれでいいかも。
昔は、ソビエトと中国はすぐにつるんで圧力かけてきたけれど(まぁ、すぐ仲間割れもおこしていたわね)。
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社会人学生は法学部所属と決まっていてその授業を受けることが出来た。
但し、外国語は定員の関係でロシア語というのも決まっていた。
父の長兄は戦前は通産省の役人で、大連に家族で居たことがあり、伯母はロシア語の簡単な日常会話が出来たので、遊びに行くと台所などでたまに「ロシア語では○○と言うのよ」などと知識を披瀝してくれたりした。
だから、東西冷戦の真っ最中ではあるがソビエトとロシア語とは何となく別物と言う感じがしていて、趣味でNHKのロシア語講座を聴いていたが、ある日とんでもない事態になり、まだ学問の府の自治という言葉が生きていたから(皮肉w)大学へ通うことにしたのだった。
自己紹介で、シベリア抑留の経験者が2人おられた。
ひどい目にあったのになぜに今頃ロシア語なのだと質問をした人がいて、「あの頃、わずかでもロシア語が分かっていれば、何か違ったかなという気がして、と答えておられた。
後からいろいろな話をするようになって、お二人とも知識人でトルストイやプーシキンなどロシア文学の愛好者だったことを知った。
ひどい目にあっても、あの深遠な文学を読まずにはいられないのだろう。
しかし、シベリア抑留で傷めつけられた体は、もう元には戻らないらしかった。
帰国してから2,30年経っているのに太れない。
肺機能が落ちたままで、お年は壮年期なのにずいぶん年取って見えた。
伯父は官僚だったから、国からの保護も早かったのだろうと察しがついた。
従姉は、昭和20年、日本に帰って来てから生まれているから。
伯母は大連での生活を懐かしがっていた。
ここでも、自分の父親や親戚が苦労らしい苦労をしていないことが言えなかった。
ゴルバチョフ・エリツィンの時代に少しばかり期待はしたけれど、プーチンが大統領になったことで、やーーっぱりスターリンが跋扈した国だわい、と初めから信用しなかった。
先生がおっしゃっていたことだが、ロシア人は付き合いが個人個人だと、実に日本人的で義理人情に厚く話が合うのだそうだが、いざ「国」のレベルになるとたちまち
「Het(ニェット)」
になるそうだ。
そういえばニェットとしか言わない外務大臣がいたよね。
ウィキによると、彼はペレストロイカの方針に好意的だったそうで、ホンマカイナ?と思いつつ、プーチンが犬好きで安部ちゃんにもらった秋田犬をかわいがっているという報道があっても、何年か後ユメちゃんを報道陣に披露するのに、スーツのポケットが犬のおやつで膨らんでいるのを見ても
「それはそれ、これはこれ」
出来れば秋田犬をやってほしくなかった、と思っている。

特にアキタは一途だから、ウクライナに日本が支援したなんてニュースのたびに、プーチンがユメちゃんに当たっていたらどうしよう、と個人でも信用しきれなくなっている。
